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  • 新井雄志

将来への希望と絶望の不等号はど~っちだー!?



将来や未来に関する意識で希望と絶望の不等号はどのような感じですかっ??


せ~~のーっ!




希望 < 絶望 !!



は~~いっ!よくできました!(パチパチ)



というお話をします。


(安心してください。意外と明るい記事です。)




結構なバグだと思うのですが、人生を豊かにしようと思ってや様々な学問や知見を積み重ねれば積み重ねるほど、絶望度がドンドン増していきますよね笑


このバグどうにかなりませんかねw


ギャンブルさえしていれば幸せ万歳!


とか思える人の方が人間として上位な気さえしてきます(これは半分冗談でギャンブル避難でもありません。…トイウフォローヲシナイトイケナイセチガライヨノナカ。。)




話を戻します。



人間は科学的知見を得て、将来の予測がより詳細に想定できるようになってきました。


そして、どうやら産業革命以後は生活が豊かになり、化学発展に伴い食糧問題が(一時的に)緩和された結果として人類の大繁栄を手にした反面、エネルギー問題や温暖化を主とした地球環境の悪化や、食糧問題をより身近にさせてしまった事に気づいてしまったようです。


今のままでは持続可能性はかなり低いかもしれない。


明確な知識はなくとも空気感で大体の人がそんな風に考えているのではないでしょうか。



つまり、豊かになろうと皆で研究や学問を頑張った結果、


目先の環境問題への悲観や人間の業に対する消失感。


みたいなモノを感じて悲しい気持ちにならざるを得ない事態になってしまったという事です。



特に若い世代は小さいころからそうした外部環境とばかり接してきた訳ですから、刹那的になったり意欲を失ったり生きる気力を失ったりするケースもたくさんあるだろうと推測します。


(実際、僕もそういう意識もあります。)




絶望と共に歩んでいく。


これは中々にしんどい人生だ…




それは辛いので、ちょっと規模と時間軸を長くして考えてみます。



環境悪化をしてでも短期の欲を優先し、エネルギーを食い尽くし、生物多様性を破壊していくベクトル。


悲しい人間の性…そう思うこともありますが、これって如何にも生物っぽくて普通の事なんですよね。



過去に学ぶだけでも、




単一生物(シアノバクテリアさんとか)の大繁殖


植物種の大繁栄による寒冷化


食物網の閾値を超えたほころび




こうした事象はいくつもあるわけで、まあ恐らく「歴史は繰り返す」よろしく、今も似たような道に向けて真っ先に突き進んでいると思うわけです。


「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」


という諺をそのまま活用するなら、


「まあ人類は絶滅(或いは限りなく絶滅に近いレベルの消失)は免れない。でもそれってまあ普通の事といえば普通の事ですよね。」


という事になるわけです。




そう考えると、意外と悩むこと自体は無駄にも思えてくるんですよね。


人間は可愛くて馬鹿なただの生物。そんな風に思えてくるのです。


よって、ここで「人間の限りない欲望や業への悲観」が消えます。



人間なんてそんなもんなんですから。



(むしろ課題意識を持つ個体が複数いる事実を「スゲエ!」と思えるようになり人間として存在する事への自己承認欲求が満たされます。




でも


「そうはいっても未来は一向に明るくならないじゃないか!」


という反論が残ります。


まあその通りですね。




これに関しては色々な意見がありますし、解決に向けた工学的アプローチをしている人達も沢山いるのであまり過激な事は言えませんが、個人的には


「そいつぁ無理だぜとっつぁん!」


というのが個人的な考えです。




いくら、人間全体が長期的な観点に立って持続可能な環境を維持し続ける思考を共有し、その手法を見出したとしてもペルム紀末に起こった巨大火山やばりの大災害が起こればほぼ死に絶えるんじゃないだろうか…


と思うからです。



つまるところ、死や絶滅からはあまり逃れられないだろうと思っています。






それ自体は仕方ないのですが、人間のややこしい面はそうした事態を「想像できてしまう」事です。


(いや、もしかしたらネズミとか犬も自分の死を想像しているかもしれんけど…)





・子供には希望をもって生きてほしい


という自分勝手な欲望を持ちますし、


・死ぬのは怖い


とか


・苦しみながら死にたくない


といった恐怖も持ちます。





これが最後に残る厄介事なんですよね。


理解も許容もできるけど怖いもんは怖いし嫌なもんは嫌。


という状況。





これを乗り越えるにはどうすればいいんでしょう。



特に無いかもしれません。





でも、僕の場合は色々と考えた結果、


「なにも期待しないしなにも求めない。あるがままに受け止める。そして日々を楽しみ周囲を楽しくさせる。」


という改めてみるとごく普通の人生観に落ち着きました。




悲観はしていません。むしろ人生を楽しむことに関しては楽観しています。


そしてそんな人生を少し延命させようくらいの軽い意気込みでの身近なエコ活動には積極的です。




こういう考えのもとで過度なプレッシャーにさらされずに事業活動を楽しむことができればそれで良いんじゃないかなと今は思えています。


よって不等号は成立せず、


「希望も絶望もそもそもない。あるのは結果だけ。」




そんな風に思っています。



そんな風に考えている中小企業もあるんだなあ。



そう思って頂く機会になれば幸いです。



おわり。








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