マイノリティーとか多様性とかに思ふ事
- 新井雄志
- 7 日前
- 読了時間: 6分
なんか最近そんな本を読んだ。
作品としては面白かったけど、個人的に思う事がいくつかあったので纏めておく。
結論としては、
・人はあくまで他人である。自分に影響があるかどうかが重要であり、影響が無ければただの肉塊で無視で良い。それは家族でさえも同義である。
・人と人の繋がりは瞬間的なもので、継続するかどうかは常に選別されている。
・それぞれの人間が自分の視えている世界を生きている。環世界でありそれで良い。
・意識せずとも人は他人と入出力を繰り返している。ただし相手の入出力をコントロールしようなどというおこがましい考えは持ちたくない。
・これらの前提の上で、悪影響をなるべく排除するために法は存在する。
みたいな感じになった。
ちなみに僕は、IQが変に高いせいでマイノリティーに分類されるらしい。
組織人への適性が無い。という意味では自覚はあるけど、社会生活にはそこまで支障が無いので困ってはいない。そんなステータス。そんな奴が書いてます。
そういや、なんかIQが20違うと会話が成立しない。とかいう言説があるけど、
そんなわけないやろ!
というツッコミはしておく。
そういう奴は、自己陶酔して相手とのコミュニケーションを楽しむ努力を怠っているただのバカです。
でわ本題。
① 認識、理解する事はできるが共感はそもそも不可能
なんか
「誰も共感してくれない!」
みたいな悲劇を演じている人がいる。
「いや、そらそやろ!」
と言いたい。
共感されないからこそのマイノリティーじゃないですか。
共感されたらそもそもマジョリティーやろ。と。
例えば、僕の知り合いに小児性愛者や同性愛者がいる。
(マイノリティーの中では王道すぎますが…)
でも、僕は小児でも無いし、同性愛者のターゲットからは大きく逸れた外見のようなので僕の生活には何の影響もない。
なので
「へー」
としか感想が無い。
「自分が抱いているような性衝動を彼らはそういう対象に抱くんだろうな。」
という想像や認識をしてロジックを理解する事はできる。
でも共感は無い。
共感するという事は自分も同じ感情を抱くという事である。それは不可能だ。
理解と共感をはき違えてはいけない。
あなたに共感できないという事は、あなたも私に共感できないという事でお互い様である。
大事なのは双方の認識と理解だ。
② 社会インフラからの拒否や排除
社会も組織もですが、人が集まるコミュニティは基本的に平均値や多数派に合わせた設計になる。
限られた資本でコミュニティに最大のリターンを行うベクトルが存在する以上は仕方ない事である。
それが政治であり行政というものでしょう。
なので、例えば性自認が女性の生物上男性が「女子トイレを使わせてくれ」と主張しても、そりゃ無茶である。
大多数へのネガティブ影響の多さに比べて、リターンが少なすぎる。
逆にネガティブの大幅な減少と、リターンの増加が見込まれれば自然と運用されるだろう。
主張を重ねて未来の多数派を目指す行動自体は「お好きにどうぞ」ですが、実際に今使うのはご勘弁。
こうなる。
(当たり前たいそ~♪)
組織でも同じである。
「我こう思う!こうだ!こうあるべきだ!」
と主張しても、チームや組織がそれを受け入れなければ採用はされない。
ゆえに僕はサラリーマンを継続できなかった。
でも、それが当たり前。
恨む事では無い。自分で工夫して動くしかない。
生活とはそもそもそういうものであろう。
③ 対人関係からの排除
「自分は〇〇である。と告白した際に、相手から嫌われるのでは…」
と恐怖を覚えて説明できない現象。
これが人間の面倒くさい所である。
全ての人間が
「へー」
くらいの温度感になれば良いなと思う。それが恐らく多様性という言葉のゴールなのだろう。
でも、実際には気持ち悪さを持たれるケースの方が多いんだろうなとも思う。
生物が違和感のある対象に警戒心を抱くのは、本能としては正しい。
なので、気持ち悪く思われることもある程度は許容しないといけないだろう。
ただし、人間という特殊な生物になれた以上は、ここを徐々に克服していけると信じたい。
これに関しては変わっていけばいいなと思う。
一方で、相手やグループから拒否される事は当然のように発生するので、そこは被害者ぶってほしくない。
小児性愛者を公言しながら保育士を目指せば何かしらの反発はあるでしょう。
(法的には大丈夫なのか…?詳しく知らない。)
でもそれを「小児性愛者だからって何で保育士になれないんだ!」
とか叫んでも、
「いやいや、おっさんが一人で勝手に女子高の敷地に入っちゃダメなのと一緒でしょ」
となる。
ロジックは全然違うけど受け手の心象としては同じである。
(ちなみに前者は職業選択の自由で法的にはOKぽくて、後者は不法侵入で法的にNGっぽいな。面白い現象。)
人間社会とは法だけで設計できないものである。
相手に悪影響や心的負担を大きく与えてしまう要素を自分が持ち合わせている場合、その対象や同じような人たちが多く存在しているコミュニティからは拒否される。
これは当然の話で、誰しもに発生する現象である。
僕が女子大生ばっかりのオープンチャットとかに急に参加したら秒でブロックされるでしょう。
(当たり前たいそ~♪)
殺人衝動が抑えられずに連続殺人を起こさないと生きていけない。
みたいなレベルになれば、誰とも繋がれず、どこのコミュニティにも参画できないかもしれないが、まあ大抵の人は自分で工夫して対人関係と居心地のいいコミュニティを目指すものである。
~まとめ~
何かマジョリティーとかマイノリティーとか境界線を作る意味があるのだろうか…
そもそも境界なんぞ、その瞬間瞬間でのステージや構成で動的に変化するものだろう。
マジョリティーも場所によってはマイノリティーになる。
色んな人間がいる。
これだけで良いような気がしている。
男性社員に「実は貴方の事が好きで性的に見ています!」
とか言われても
「へー。俺はそう見てないので性行為は拒否するけど好きでいてくれる分にはありがたいし勝手にどうぞ。」
でしかないし、汚い表現ですが仮にオカズにされていたとしても、自分もそうした事をした経験がある場合は
「ま、お互い様か」
でしかない。
人間なんてすべてにおいて品行方正に生きていけるわけじゃないでしょう。
悪意を持たずとも誰かを傷つけた経験なんて誰にもあるんじゃないだろうか。
「お互い様」ですよ。
なんかもっとこう、さっぱりと生きていければ良いなと思いました。
おわり。



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