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  • 新井雄志

リーマンショックの思い出 ~ロースキル SES営業@関西編~

〇 はじめに


いやあ、世間の過剰なIT投資も落ち着きだした途端にコロナも騒がれだし、



案件が順調に死んできました。



いよいよ不景気じみた話が増えてきたので、ここいらでリーマンショック体験者として当時の話を残しておこうと思った次第。



今の20代は知らないんですよね…時の流れは早いもんだ。



あくまで主観ですが一感想としてお読み頂けますと幸いです。 (文中にオタク男子、理系といった言葉が出てきますが、一種の記号として用いており他意はございません。ただ気を悪くされる方もいるかと思います。申し訳ございません。)





前提条件は下記。


・当時は新卒3年目の一営業マン。

・所属していた会社はロースキルが多めのSES会社(当時はSESという用語を使っていませんでしたが、ビジネスモデル的にはほぼ一緒なので解りやすくSESとします。)

・営業エリアは関西圏




目次はこんな感じです。


〇 序章 リーマン前の雰囲気 理系学生を採用して放り込むだけの仕事。


〇 第一章 やってきた黒船 ペンディングってなんですのん??


〇 第二章 契約終了祭 社内に思わぬ異変。怒る総務。


〇 第三章 勝ち取れ助成金! 解雇はしないけど勧奨はするよ!


〇 第四章 エンジニアという名のクリーンルームオペレーター爆誕!


〇 特別章 飛び交う早期退職者の経歴書 目視検査20年で年収600万は無理でっせ!


〇 最終章 その後の経過




~序章~ リーマン前の雰囲気 理系学生を採用して放り込むだけの仕

事。




当時は今では考えられないくらい営業が簡単でした。



極論



理系さえ採用していれば(スキルアップを考慮しなければ)アサイン先のPJはなんぼでもあった。



という感じ。 (その分、採用活動は死ぬほど大変だったようですが。)






当時は日本の家電メーカが大盛況な時代。



ガラケー・デジカメ・複合機・テレビ




これらが飛ぶように売れていました。



これに加えて関西では白物家電まで元気だったので、どちらかというと案件過多でしっちゃかめっちゃか状態。





この辺りは伝説の手記。




YRP 軍曹が携帯電話開発の現状を語る




をご覧いただけると雰囲気が掴めると思います。


内容的にはコミカルにされておられますが、割と本当にこんな感じでした。



関西でも奈良とかは似たような状況だったのではと推測します。




とにかく、

「日本語が喋れてコミュ力があれば数十人でもいいので、とにかく放り込んでくれ」

という異常な時代でした。






~第一章~ ペンディングってなんですのん。




そんな活況の時代に西洋の地 ウォールストリートからきな臭いニュースが聞えてきます。




サブプライムローン リーマンブラザーズの破綻危機




正直、この時の日本の会社の空気感としては




「アメリカ人は金融で稼ぐの好っきゃの~~。わしら日本人は実体経済を回しておまっさかい関係ありまへんわ。対岸の火事ですな。ガッハッハーー」




でした。



実際、アメリカが大騒ぎをし出しても日本は1年くらいは大した影響が目に見えては出てこなかった体感。



だから各社もそれまで同様に強い採用姿勢で、




2009年4月にも大量の新卒が送り込まれてきました。


そして結果的にはこれが大失敗。




この辺りから聞こえ始めるのです。



「ペンディング指示が来たので、これ以上の増員は控えたい。」




という言葉が。



正直、最初に聞いたときは


ペンディング?? なんですのんそれ?? 美味しいんでっか??


くらいの理解度で、「まあこんな事もあるか」と軽い気持ちで自社に帰ります。



先週までは「ドンドン人出してほしい。ワッハッハ!」だったのに世の中解らんもんやな。なんて思いながら。





そして自社に帰って上司に報告




「ペッティングかペンギンか知りませんけど増員は一旦控えるらしいっす!」





すると青ざめる上司。





「おまえの所でもか…」




えっ!?



そうです。この辺りから全ての営業から一斉に、




増員NG の報告が上がりだすのです。




当時の営業部隊の会議は当然こうなります。




えっ!? どうするんですか数十人いる新卒達は??



ウチの武器ってあれじゃないですか。




理系(っぽい)学部を採用して4月頭から社内研修を経ずにOJTという名のもとPJにアサインして研修コストかけずに儲けるビジネスじゃないですか??




これどうするんですか??




上司「……気合と根性だ。必ずPJはある! 一斉にアポ攻勢をかけるぞ!」





次の日から鬼のような営業攻勢が始まります。




~第二章~ 契約終了祭 社内に思わぬ異変。怒る総務。



ここからの加速度は凄まじかったです。



まず、増員NGではすみません。




「トップからの指示で一律単価を20%ダウンしてほしい」




といったメールや正式文章が飛び交うようになります。


根拠もクソもありません。

不景気なのでどうしようもない。各社ダウンを受け入れるように。

という「確定連絡事項」なのです。




これには私も納得できず、最初は上司も渋っていました。



「そんな事を一方的に通達する会社とは付き合うな!」



という怒号も飛び交いますし、



「景気が良くなったんで単価20%UPでヨロ」とか言ってもおまえら絶対納得せんやろ!



といった喧嘩腰のコミュニケーションも発生するようになっていました。





ただ、



じゃあ終了してください。



という返事しか来ないことに加えて、他の客先で単価ダウンだけでなく、一斉終了の話も追加で大量に出てきます。




こうなったら戦略はすぐに変更。



「単価ダウンの打診をしてでもPJを継続させろ!」



という事になります。



ただし、こうなるともう手遅れ。



営業マンが客先に顔を出すたびに




「ちょうど良かった。契約終了の話をしたかったんや。」




とまで言われる始末。



営業に行かない、先方の電話をとらない、メールを見なかった事にする事


そんな技を駆使する営業マンまで現れます。秘技 空蝉の術です。





という訳で終了祭が始まるのですが、ここで社内に異変が起こります。




バックオフィスの女性陣からクレームが出始めるのです。




社内が臭い




と。



そうです。



自社待機が想定しない規模に膨れ上がり、執務スペースはすぐにキャパオーバー。


当然、執務室・会議室は理系のオタク男子でスシ詰め状態になります。



その結果、




非常に汗臭いのです。



これには泣きました。


本人たちに強くいう事も出来ず、消臭剤と芳香剤が大量に買いこまれます。



経費削減のトップダウン指示が出ていたのですが、これには社長も同意せざるを得ない。



という事で大量の芳香剤と理系男子と暮らす日々が始まります。








~第三章~ 勝ち取れ助成金! 解雇はしないけど勧奨はするよ!



この状態になったら営業努力で根本的な解決は無理です。



会社としての対処優先度は下記になりました。



雇用調整助成金の申請 > 研修講師の育成とカリキュラムの準備 > 営業で案件獲得



雇用調整助成金というのはリーマンショック対策で国が一時的に取り入れた助成金です。



要は「社員のクビを切らずに、スキルアップのための研修をすれば給与の大部分を保証する」という政策です。


正直、これに助けられました。



これが無ければ当時の会社は債務超過になっています。


億単位の金って一瞬で消えるんだな。というのを学んだ良い経験でした。



ちなみにこれは後日談ですが助成金ってクセもので

「助成金は不正に受給されていた!返せ!」

って言われたんですけどね… 国って恐いなと思ったのもこの時代です。

(これは世間的にはブラックと叩かれましたが、中の人的には国がヒドイ。詐欺だ。というのが本音でした。)





※この時期は営業としては普段アプローチしていない企業に新規営業しており、個人的にはそれはそれで楽しかったです。市場シェアが圧倒的な中小企業、官公庁の仕事、医療系の仕事、入札関係の仕事。そんな所を狙っていたなあ…(遠い目)





まあ、要は助成金に延命処置してもらえた。という章でした。




ちなみに整理解雇は私の在籍していた会社では表立ってはしませんでした。



これは当時の社長の拘りであり、スゴイ決断するなと思って見ていたものです。




ただし、キレイごとだけでは世の中はわたっていけません。



普段からトラブルや問題のある社員には「辞めてほしい」といった退職勧奨は普通にありましたし、辞めていった人も多くいました。



通常時は客先にいて顔を合わせる機会が少ないけど、毎日顔を合わすようになったので自然とそんな会話も生まれてくるんですよね。




色々考えさせられます。




~第四章~ エンジニアという名のクリーンルームオペレーター爆誕!



そんな状態でも徐々に希望の兆しは見えてきます。


当時は半導体市況はモノ自体は売れていました。


ですので関西の半導体製造会社から、




「製造ラインを手伝って貰えないか?」



という相談がいくつか舞い込んできます。



繰り返しますが 製造ライン です。



ですが、当時の営業部隊の心境としては



「大口の仕事の話だヒャッホーイ!!」




くらいにしか認識出来ないのです。


キャリア形成もクソもありません。



会社が死ぬかどうかの瀬戸際なのです。



という事で大号令が下ります。




全員、クリーンルームに繰り出すのじゃあ!!!



と。



これによりプログラマーや機械設計者を目指した若者たちがクリーンルーム内で半導体ウェハを洗浄する。という状況が誕生したのです。


今の時代にこれを読むと、「なんてことを…」と思うかもしれませんが、仕事をとってきた人や現場に入った方々は




会社を救うヒーロー



です。



ですので、あまりこうした状況にあまり疑問に感じなかったのが事実です。



~特別章~ 飛び交う早期退職者の経歴書 目視検査20年で年収600万は無理でっせ!


ちなみに少し話はそれますが、この時期に大量の早期退職募集が発生しました。


そして結構な人数が実際に辞めた。


という当時の印象です。


そうなると早期退職を代行する会社から



再就職先ありませんか??



といってスキルシートが出回ってきます。 (余談ですが仮に採用しても手数料は当然ゼロです。むしろ助成金が貰えるくらいの市況感でした。)





この時のスキルシートが結構考えさせられるものでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 45歳男性 妻子あり 希望年収:現在と同程度 引越:NG

〇職歴〇 製造ラインでの目視検査 20年

〇PR〇 忍耐力と健康

〇現年収〇 600万/年

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こういった経歴のものが



結構な数出回っていたのです。



当時思いましたね。



この仕事をバカにするつもりは全く無いですが、代替可能性の高い業務に就く人に高額報酬を出して、その額が当たり前だと思わせてしまうのは社会的に良いのだろうか…

と。。。考えさせられた案件でした。





~最終章~ その後の経過


その後の経過を簡単に書くと下記です。


直撃初年度⇒大赤字 助成金でなんとか凌ぐ


2年目⇒クリーンルームパワーもあり、少し黒字


3年目⇒徐々に市況が回復。待機も減り安定黒字となる。ただし助成金の返還で帳消し。


4年以降⇒再度、成長フェーズへ。




という事で何とか乗り越えました。



当時を体験した身としてこれだけは言っておきたい。


営業努力や経営努力をどれだけ工夫しても、


ダメなときはダメ


という事が実際にあるんだということです。


今の20代には信用できない記事かもしれませんが、




自分のスキルや興味がそそられる仕事に頑張っても全然就けない。 まずは給与を稼ぐだけで精一杯。




という日々が来る可能性もゼロではないです。



そんな時に自分や社会を責めて精神的に苦しくならないよう一つの情報にしてもらえると救われる思いです。




おわり。

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